ダークソウル、Bloodborne、そして隻狼… ”彼”の目に映る世界とは
「フロム脳」の第一人者たる彼にとって、世界はどう見えているのか…
3作品に共通するキーワードから、それを読み解く
宮崎英高氏の作品には、共通して登場するワードがいくつか存在する。そしてそれは、多少の差異はあれど同じような意味合いを持っていることが多い。つまり、各作品の舞台や設定は違えど、基盤となる思想の部分においては全て同じなのではないだろうか?
語られぬ事実をそこから逆算して考察することも出来るだろう。物言わぬ彼の腹の内を明かしてやろうってワケだ。つまりこの記事は神への反逆[†リベリオン†]である!
とはいえ私自身3作品すべてをやりつくしたわけではないので、補講や指摘をしていただけると非常に助かります。実際Déracinéとかまだやってないし(やりたいけどね)。「こういうワードもあるよ!」なんてのもあればぜひコメント欄に。
①不死(ダークソウル、Bloodborne、隻狼)
ダクソ、ブラボ、隻狼の主人公はそれぞれ要因は違えど皆不死である。何度殺されようと復活し、課せられた使命を果たそうとする。
▲不死とは、使命の印である。与えられた不死の力にも、何か意味があるはずだ
だが、忘れてはいないだろうか。普通は、一度死んだらおしまいだ。だからこそこれらのゲームにおいて死は普通以上に重いものだし、それでもなお突き進む主人公とプレイヤーには大きな勇気を与えてくれる。
ゆえに不死とは、ただ死なないだけのゾンビではない。使命を果たさんとする勇者なのである。「素晴らしきかな不死」と謳うのも、彼らに対する賛美の現れなのではないか。
▲亡者と不死、似ているようでまるで違う。心をなくした勇者は、やがて亡者へと堕ちる
しかし、ことBloodborneにおいては主人公は「不死」とは少しだけ外れた位置にある。結果として不死ではあるが、それは死んだ事実を夢に置き換えているだけで、明確に言えば死んだわけではないはずである。むしろBloodborneにおいて不死と言えるのは、血の女王、アンナリーゼの方であろう。
不死を勇者とするならば、彼女もまた、何か崇高な使命を持ち合わせているに違いない。静かな玉座に一人座し、彼女は何を待っているのか…。
②虫/蟲(ダークソウル、Bloodborne、隻狼)
虫と蟲。それは淀みの根源。あるいは、不死の基。深みの聖堂に潜む小さな蟲たちは、イリーナに憑りつき、彼女を蝕んだ。
どちらにせよ、それらは人中に蠢く「寄生虫」であり、やがて宿主さえも飲み込み成長してしまうだろう。とにかく虫とは害虫でしかなく、世界を蝕む「悪意」である。躊躇なく、踏み潰すことだ。
▲不本意に蟲憑きとなった者は、死ぬことができない自らの体に永劫苛まれることとなる。悲壮よな…
…である反面、虫は連盟にとっては結束の意思そのものだし、蟲も仙峰寺の僧たちにとっては願ってもない不死の探求の品であるし、一概に排除すべきものだとも言い難い側面も持つ。もっと言えば、上述の「不死」の定義を持ち出すのなら、蟲、あるいは蟲憑きも同様に「使命を持った勇者」ということになる。蟲を授かったことに意味があるなら、蟲そのものに使命と意志があるのなら、なにゆえ蟲はこの世に生まれたのか?
▲あるいはただ、永遠の惰眠を貪るだけの亡者でしかないのか?
仙峰上人は、この答えを出せたのだろうか。不死になって終わりではなく、その先を見据えているなんて…やはり、生臭坊主どもとは格が違うわな。
▲不死となったからには、そこに理由を求めねばならぬ。蟲を授けられたは、なにゆえか
③血(ダークソウル、Bloodborne、隻狼)
我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。かねて血を恐れたまえ。
血は言うまでもなくBloodborneのキーワードとなるものであるが、ダークソウルや隻狼でもそれは登場している。それも、何気に重要なアイテムとして。
ダークソウルの場合、それは「暗い魂の血」として登場する。
暗い魂の血はお嬢様の描く絵画の顔料となるもので、これを求めてゲールは時代をさまよっていた。そして彼は旅の果て、自らの血こそがその素材だということに気づく。
そして隻狼の場合、仙郷に至るための素材として御子の血が必要となる。
竜胤の証はその血にこそあり、不死斬りでなければそれを流すことは出来ない。不死断ちを為すためには、これが必要となる。我が血とともに生きてくれ。
これらを見るに、血とはそのものの在りよう、本質を表すものなのではないだろうか。人を定義するものは、肉体でも、魂でもなく、血こそにあると。これはBloodborneだけの設定に限らず、宮崎氏の世界観の根底に根差したものなのかもしれない。
▲そう考えると、この趣味の悪い首切り像のギミックも意味あるものなんじゃないかとも思えてくる。…それにしたって気味悪いのは変わらないけどな!
ちなみに「青い血」は西洋では「貴族、貴い者」を表す言葉らしい。それを踏まえれば、青ざめた血の正体とは…貴く、もっと貴く…
④赤目(ダークソウル、Bloodborne、隻狼)
ゲーム中、赤目はひときわ強い個体として、我々の前に立ちふさがる。これはデモンズ時代からの一つの目印。
▲今見ても、悪寒がする…。脳裏に刻み込まれた恐怖!
しかし隻狼以前は、ただ単にちょっと強い個体の目印程度の意味合いしかなく、特にその説明などはされていなかった。
そしてついに、赤目個体の真相が判明する。
赤成り玉の登場である。
赤目の個体は、成りたいものに成れなかった者たちであるらしい。ならば、ゲーム中に登場する赤目個体は、各々何か目指すものがあったのだろうか?もしかしたら、「大ボスになりたくてなれなかった」者たちなのかもね。精々彼らは中ボス止まりだし。
▲大ボスを目指し、日々研鑽する毎日…。目指すは下克上?
とはいえ、葦名では人工的な赤目の開発も研究されていたようだし、強制的に赤成り玉飲まされた人たちも多いかもね。あんな得体のしれないモン飲まされるのも嫌だし、それを自分から飲む狼さんもやっぱりちょっと異常者だよな。
▲もしかしたら、赤成り玉を食らい続ければ狼もいずれはこうなるのかも…
⑤海/深海(ダークソウル、Bloodborne)
呪いと海に底はなく、故にすべてを受け容れる。だからこそ海は神秘と縁深く、かつての人々はそこに上位者が住まうと信じていた。
ならばここから、エルドリッチの夢見た「深海の時代」を追求することは出来ないだろうか。つまり深海の時代とは、「すべてを受け容れた時代」である。
私は前々から、エルドリッチは別に悪い奴じゃあないと思っていたんですよ。火は陰り、もはや風前の灯火。ならばそれに抗うのではなく、受け容れ、順応しようとする思想。それこそが、彼の目指した世界なのではないか。求める者よ、その先を目指したまえ。
闇は何者も分かたない。故に呪いやおぞましいものたちをも受け容れるが、そこにはなんの区別もない。なんとやさしい世界でしょうか。
でもー…。「深海に上位者がいる」という前提のもと動いていたとしたら、それに見え、あわよくばその末座に加えてもらおうとしていた…どころか、それさえ喰らい上位者に為ろうとしていた、とも取れる(もっとも『宇宙は空にある』が現代での通説だけどね)。であるのなら、やっぱりただ自己チューなだけのおっさん?神喰らいは救世のためなのか、あるいは傲慢な野望か…。どっちにもとれるのが、考察の面白いところよね。
▲「海」と「上位者」、「深海の時代」。点と点がつながった!
⑥竜(ダークソウル、隻狼)
竜は神秘の生き物であるという記事を以前書いた(ダークソウル3の記事です)。
(宣伝を欠かさないスタイル)
そしてやはり隻狼でも、竜は同様に精神的な生き物であるように描かれている。仙郷へは拝んで、祈ることによって入門し、そこには幻想的な風景が広がっている。
▲拝んで、祈る。竜に見えるのなら、まずは作法をしっかりせねば
▲仙郷。雲の上の世界なんてファンシーだね
拝んで祈り、幻想世界へと侵入する。やはり、ダークソウル3の古竜の頂への侵入方法と酷似している。ならば竜とは、我々の精神的部分に住み着き、そこをねぐらとしているのではないだろうか?強力なブレスや巨大な身体はただの副産物でしかなく、その神秘性こそが最も大きな能力なのではないか。なればこそ、竜をあがめ、奉ることはどの世界でもなんら珍しいことではないはずだ。ダークソウルでは、世界誕生のきっかけが竜vs神であったのはある意味世界全体の不幸だったんだな。竜信仰はどうしたって異端になってしまうから。
▲もしも古来、神と竜とが和解できていたら…。世界はもう少しだけ、優しかったのかもしれない
だがそうなると、1つ疑問が生じるようになる。
⑦神(ダークソウル、隻狼)
ダークソウルは神vs竜が事の発端であり、それらは明確に区分され、あまつさえ敵対していた。
しかし隻狼はどうだろう。桜竜は「神なる竜」であり、あろうことか神でもあり竜でもあるというとんでもない合体事故を起こしてしまっているのである。これは何気にヤバイ事ですよ。
そしてもう一つ重要なこと。桜竜は風を操り、尋常には近づくことは出来ない。だから狼は天から降る雷を刀に宿し、それを発射させて攻撃する。
ん?雷…?
ダークソウルでは、雷は神の力。隻狼でも、雷は神鳴りである。つまり雷でダメージを食らう桜竜は、やはり本質は竜であり、神とは敵対しているのではないだろうか。葦名では八百万神思想のもと、古い草木には神が宿ると考えられている。だが桜竜が根付いたのち、そうした神々は姿を消してしまった。やっぱ、嫌われてんじゃん。
神と竜は水と油、交わることはないのだろうか。とはいえダークソウル3では竜信仰や無名の王の存在など、互いに歩み寄る姿勢は多分に見せてはいるから、宮崎氏の今後の作品次第ではお互い仲良くしている姿も見られるかもしれないな。そこらへんはELDEN RINGに期待大。
▲ガッツリファンタジーだし、神も竜も出てくるだろう…。どういう姿を、描いてくるのか
⑧太陽と月(ダークソウル、Bloodborne)
雷は神の力、そして神の力は太陽の力である。対して月は魔力を有し、そこに女性的なイメージを象る。グウィンドリンは男として産まれながらも月の力を有していたため、「影の太陽」として、太陽と月両方の象徴として生きている。
▲彼を前に、性別どうこうは浅はかな話だぜ…。…それはそれとして、男の娘はイイよね。
Bloodborneにおいても、特に月は大きな意味合いを持ち、赤い月をきっかけに物語はどんどんと核心に迫っていく。そして最後には、月の魔物が現れる。
月は魔力を有し、女性のイメージを象る。そしてすべての上位者は、赤子を求めている。赤子は女性から産まれるもの…。上位者が月ならば、太陽は、あるいは男は、何者に値するのだろうか。
ブラボのことを考えていると頭がおかしくなりそうだ。だが、ダークソウル的太陽と月の概念を当てはめてみれば、いずれ正解に辿り着けるかもしれない…。
⑨朝と夜(ダークソウル、Bloodborne、隻狼)
太陽と月の話を少し視点を変えて見てみる。Bloodborne以降、物語の進行度に応じて時間帯が移り変わるシステムが採用されているが、実はこれにも少し意味があるのかもしれない。
例えば、隻狼。隻狼では物語は夜、狼が捕らえられているところから始まる。
この後弦一郎に卑怯とは言うまいなされ、御子を奪われてしまう。つまり、言うなれば絶望の象徴である。そして朝に目覚めたのち、御子がまだ生きていることを知る。一縷の希望である。夜が深まるほどに難易度も上がっていき、大切な人たちも段々と消えて行ってしまう。
つまり、朝は希望、夜は絶望の象徴なのではないか。そう思えば、それぞれのゲームのエンディングも見方が変わってくる。
隻狼の人返りエンド。朝日が昇っている。
Bloodborneの夜明けエンド。明かない夜が、漸く明ける。
こればかりは、我ながら正直こじつけもいいところだと思う。それでもハッピーエンドが欲しいんだよ!!狼は死ぬし、悪夢もいずれ繰り返されるのだろう。それでも彼らにとって希望は確かにあるはずなんだ!そう思わなきゃやってられねぇぜ!
だがしかし、これをあてはめれば、ダークソウルシリーズは1,2,3どれもハッピーエンドがないっていうことになってしまう。基本全部暗闇だからね。
▲ハッピーエンド中毒者の自分としては、どんな状況でも一筋の光は見出したい…。
やはり火継ぎの旅に希望はないのか?世界とは悲劇なのか?闇から生まれた人間としては、闇に還ることこそが幸せなのかもしれない…。
⑩亡霊(ダークソウル、Bloodborne、隻狼)
割とどこにでも現れる亡霊たち。隻狼によれば、「強い怨念が仇討ちの霊となり、現れることがある」そうな。
強い怨念を持って死ねば、亡霊としてこの世に遺されることになる。ダークソウルでは、さらに呪いのおまけつき。
▲早く成仏してくれ…
おそらく、その仇を晴らすまではこの世に縛られることになるのだろう。小ロンドの亡霊たちは、死して屍になるでもなく、かといって亡者にもなれず、怨念を持ったまま、水没した小ロンドを呪い続けるのだろう。呪い、水没…。せめてそこに底がなければ、すべて受け容れてくれただろうに。
⑪鐘(ダークソウル、Bloodborne、隻狼)
鐘も何気に重要なアイテムであり、その音色は時に目覚めのしるしとなり、時に次元を跨ぐ符牒となる。
▲鐘を鳴らすことは、幻廊への鍵となり、猿たちを目覚めさせる。その音色は、きっと次元をも跨いでいるはずだ
Bloodborneでは、鐘を鳴らすことで別世界の狩人に助けを求められる。しかしそれは、悪意ある侵入者を引き込む切欠にもなり得る。
ダークソウルでもそうだ。目覚めの鐘はフラムトを呼び起こし、無名の王をも引き寄せる。
▲「その鐘、鳴らすなって言ったじゃん…」もしかして、寝起きでした?
この音が次元を跨ぐのならば、彼らはもしかしたら別世界からの来訪者なのかもしれない。…もっとも、ダクソ世界では次元のズレなんて些細な問題だし、大したことでもないんだけどね。
隻狼では、仙峰寺の鐘を鳴らすことで厄憑となり、鐘鬼を目覚めさせる。
鐘を鳴らした結果が良いにしろ悪いにしろ、鐘を鳴らせば何かが起きる。その音色は、世界にとって大きな役割を持っていることは間違いない。
⑫酒(ダークソウル、Bloodborne、隻狼)
酒。シリアスかつ破滅的なストーリーラインの多い宮崎作品においては、ある意味浮いた存在。しかしだからこそ、ジークバルト手製のエスト酒は旅において格別の嗜好品であり、ありがたい存在である。
酒とは、振る舞うものである。自分一人で楽しむべきものではない。これ、現実でも良い人間関係を気付くためのマナーになりそう。
だがしかし。ことヤーナムにおいては、酒は獣を誘き寄せるための餌にしかならない。
酒はヤーナムに似合わない。こういうところにヤーナムの市民性が見え隠れする。寂しい街だよなぁ…まぁ、獣狩りの夜に飲めや歌えやするのもそれはそれで狂っているとも言えるが。
⑬ナメクジ(Bloodborne、隻狼)
神秘性を秘めた軟体生物。それは上位者の先触れとして、気狂いたちに親しまれている。
▲ナメクジを「精霊」と称するのがまずすごいわ…
隻狼では桜竜のお膝元、水生村の特産品(?)としてひっそり登場。
魚?エビ?いや、ナメクジだわ…これ。まじまじ見ないと気付かないだけに、気付いたときにビビるよね。ナメクジ魚を献上し、水生の村人は一体何を召喚しようとしているんでしょうね。
貴き餌。ぬめっていて角が生えたものがぬしはお好き。毛など生えていれば、さらに良いとのこと。もうわけわからん。
思えばデモンズ時代には、月明かりの大剣はナメクジ柱の中に埋まっていた(この頃の月光は信仰補正)。やはりナメクジは神秘と縁深く、そこに宇宙を求めるのも、なんらおかしなことではないのだ。
着々と啓蒙が溜まってきましたよ。しかしここまできても、宮崎英高氏の瞳の奥は依然として暗闇が広がったままである。それは宇宙なのか、あるいは闇なのか?常人には計り知れない、深淵がそこに見える。おそらく彼も、ゲームを通してこちらを覗いていることだろう。
現在宮崎氏、もといフロム・ソフトウェアはELDEN RINGを開発中である。果たしてこの考察は次回作に活かせるのか!?どっちでもいい、とにかく早く遊ばせてくれ!!…これを言いたいがために、この記事を書いたのであった。了